2.胃全摘手術とその後。

2006.05.11

胃全摘手術とその後(5)

3月に入り、退院の話も少しずつ具体化していた。

通常、胃がんで手術をした患者は1ヶ月程で退院するらしいが兄は術後の経過があまりよくなかったので少し長い入院になっている。

そしてこの頃、抗がん剤治療も開始した。それまでお世話になった外科から腫瘍内科にうつることになったが、病室は今までどおり変わらずに抗がん剤点滴をうけることができた。そして退院後は通院で抗がん剤治療を続けましょうということだった。

しかし、念願の退院を目前に、兄の肺に水が溜まっていることが検査で判明し、その水を抜くための胸水穿刺を2度ほど行ったと思う。溜まっていた水は1.5ℓ以上はあった。まだこの時私は、この胸水が溜まることの恐さを知らなかった。

3月11日。色々な不安はあったものの、念願の退院が決まった。この日は〝先勝〟 午前中に家に帰らせようと思い、姉と父と私は病室に早めに到着した。

我が家にやっと帰れる嬉しさに張り切っているのかと思いきや、少しだるそうにベッドに座る兄がいた。姉が看護士に呼ばれ、病室を出ていくと〝何の話なんだ?俺も一緒じゃだめなのか?〟とひどく不安そうにしていた。姉が戻ってくると〝何だった?何の話だった?〟と兄は問い詰めていた。〝退院後の家での生活についてとか、食事のことだよ〟と姉が言ってもまだ納得しない兄に姉は〝家族の中にはまだ食事もきちんととれないのに退院させていいんですか?っていう人もいるからきちんと説明されただけだよ〟と言う。そしてその後兄も医師に呼ばれ、病室を出た。数分後、戻ってくると兄は明るい顔でこう言った。〝親父、いい話だった!胸のレントゲンも見せてもらったけど、快方に向かってるって医者が言ってたぞ〟と声を弾ませていた。

この後、私と父は兄のいないところで姉から医師からの話の内容を聞く。

医師からは〝長くはないので今帰れる時に退院しましょう。ご家族でいる時間を作ってください〟というようなことを言われたそうだ。これを聞いた姉は、必死で治そうとしているのに希望のかけらもないことを言われたと怒っていた。

それでも兄の退院は私達にとって嬉しい出来事だった。

大学病院での入院期間40日。兄は退院し、我が家に帰ってきた。30歳という若さで買った我が家、愛する妻と子供達との思い出がたくさんある家に。

この時もとにかく病気を治して、1日でも早く仕事に復帰しようと思っていたんだよね、お兄ちゃん。

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胃全摘手術とその後(4)

術後数週間がたち、食事も開始された。

兄は気持ちも少しずつ上向きになってきたのか、病棟を歩いたり売店まで買い物に行ったりして体を動かすことも増えてきた。ただし、せっかく食事が始まってもなかなか順調に〝食事をとること〟は難しかった。病院食はマズイと言って一切手をつけず、姉や父が兄の食べたいものを聞いて差し入れするという形だった。胃を全部とっているので食べる量も以前に比べればはるかに少ないし、食べ方にも気をつかわなければならない。時々、食後に冷や汗が出たり、苦しくなったりするダンピング症状が出ていた。

ある日私が病院に行ったときは、サンドウィッチが食べたいと言うのですぐに売店で買い兄に渡すと〝おいしいなぁ〟とパクパク食べていた。

術後、気持ちの落ち込んでいた時の兄と比べると、だいぶ元気になった兄を見るのが本当に嬉しかった。

痛がりで大げさ?な兄は入院中、よく看護士達を困らせていた。痛みもじっと我慢するほうではなく大騒ぎするタイプなので、当り散らしたりすることもしばしば。。。それを知った長男は〝ああいうタイプは(ガンが)治るから、心配ないな、あれくらいでいいんだ〟とよく言っていた。さらには寂しがりやな兄は病院に来た姉をなかなか帰そうとしなかった。医師や看護士からは、〝もう付き添いは必要ないんですよ〟と言われていても、何かと理由をつけては姉を病室に泊まらせていた。私達は姉の体のことも考え、〝甘やかさなくていいから、帰って休んで〟と姉に言っても、姉はわがままばかり言う兄の側に出来る限りついていた。

自分の体がどうなってしまうのか?という不安な状態が続く中で、兄はいつも姉を呼んでいた。それは最後まで同じだった。

そうだよね、病院に一人でいる時間は寂しかったよね。自分が一番愛する人に側にいてほしいのは当然だよね、お兄ちゃん。

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胃全摘手術とその後(3)

大学病院に兄が入院している間は、主に姉と父が付き添っていた。術後しばらくは姉が寝泊りしていて、入院期間の後半になると姉と父が交代で日中付き添っていた。それから遠くにいるもう一人の兄も多忙の中、数回見舞いにきた。

~私は3人兄弟の末っ子で兄が二人いる。長男とはひと回り歳が離れている。二人の兄は、男同士ということもあってか、大人になってからは頻繁に連絡をとったりすることも少なかった。でも長男は本当に弟思いで、兄も長男を誇りに思っていた。私達兄弟はそれぞれ結婚し、離れて暮らしていてもいつもお互いを気にかけ、特に兄達は歳の離れた末っ子の私の事を何かと心配し、可愛がってくれている。~

兄の術後の経過は決して良くなかった。

手術後、できるだけ体を動かしなさいと医師に言われても、傷の痛みのひどさで思うように体は動かせなかった。

ついこの間まで普通に仕事をしていた自分が突然重い病に侵され、こんな状況にいることがかなりショックだし、積極的に体を動かそうという気分でもなかったと思う。

この頃、術後の2~3週間は兄の気持ちの落ち込みも特に激しく、生きなければ!という気力が失せていってしまっているように見えて私達も辛かった。

私達はとにかく兄にやる気をおこさせようと躍起になった。〝ここは鬼になった気持ちで少しきつく言わないとだめだ!〟と話していても、実際に兄を目の前にすると、兄を気遣う優しい言葉しか出てこない。それでも姉だけは心を鬼にして兄を奮い立たせようと懸命だった。体を動かさないと治りが遅くなるから、、遅くなればなるほど兄のガンを治すための治療をする時間が少なくなっていくから、と姉は必死だった。

兄には術後の病状については本当のことを話していなかった。転移はあるものの、抗がん剤治療で治る見込みがあるからと伝えていたと思う。そのため、しつこく〝体を動かして。自分で何でもやらないと〟と言う姉と時々口論になっていたようだ。兄の性格はのんびりというか、楽観的といえばいいのか、闘病中も危機感があまりなくて、私達がいつもやきもきしていた。

私は必死に兄を治そうと躍起になる一方で、兄のそののんびりとした佇まいに時々ふっと気持ちが温まることがあった。

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胃全摘手術とその後(2)

1月31日。手術当日。

当初は緊急手術なのでいつ開始になるか分からないという話だったが、午前9時、思ったよりも早く兄は手術室に入った。そして手術が終わり病室に戻ってきたのが午後4時過ぎ。兄は7時間にも及ぶ大手術に耐えた。

この日、私は仕事を休み息子と実家で待機していた。母のそばにいなければならないと思った。兄の病気のことを何も知らない母はこの日もひどく辛そうだった。ただ青ざめた顔で私に〝本当に辛いんだ〟と何度もつぶやいていた。

兄の手術は無事に終わったものの、術後の医師からの話は思った以上に厳しいものだった。

〝兄のガンは予想よりかなり進行していて、腹膜などには飛び散っている(播種性ガンという)。出来る限りのことはしたが、余命は短ければ3ヶ月、長くても1年程度では...〟と話されたそうだ。

兄の病気を知ってから、私はガンについてとにかく調べまくっていた。インターネットで夜中までひたすらがん治療について検索し、本も探して読んだ。〝ガンが治った!〟〝末期がん患者が奇跡の生還〟などと見ると食い入る様にして読んでいた。

どんなに厳しい兄の病状を聞かされても、私は絶対に兄は治ると信じていた。兄に生きていてほしい。大好きなお兄ちゃんがいなくなるはずがない、とずーっと思っていた。

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胃全摘手術とその後(1)

1月30日、夕方。父と私が病院に到着した。

ベッドに座り鼻からチューブを入れられ、点滴をされている兄がいた。私を見つけた兄は悲しそうにじっと私を見つめていた。

ベッドの横に立った私に兄は〝肺と肝臓とリンパに転移だって。こんな話聞いたことあるか〟とすっかり弱気な声で話しかけてきた。

姉も父も私もとにかく励ますことしかできなかった。暗いムードにならないようにと私達は出来るだけ明るく振舞い、談笑すると〝そうやって○○(姉の名)と○○(私)とおやじが話してる姿見るとほっとするなぁ〟と涙ぐんだ。

姉はこの夜病院に泊まり、父と私はいったん帰ることにした。

手術当日、私は母のそばにいることにし、父は朝早く電車で病院に向かった。

この日の朝、病院に向かう途中に父は私に電話をかけてきた。涙でほとんど聞き取れない声で〝手術は絶対成功するから!祈っててな!〟と。

手術前夜は生まれて初めて眠れない夜を過ごした。

〝兄は大丈夫だ、大丈夫...〟と何度も心の中で繰り返し、午前1時過ぎにやっと眠ったはずが夜中3時に目が覚め、そして朝までひたすら兄の事だけを考えていた。手術が成功し、兄の病状が快方に向かうことだけ祈った。

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