再入院後、1週間が過ぎようとしていた。退院の予定はたたないままだった。
兄はベッドから自力で離れることも難しくなり、大学病院での抗がん剤治療も中止することになった。そして市立病院の担当医師より、〝大学病院の医師と今後の治療をどうするか、相談してきてください。現在の状態も決して良くないのでできれば早めに治療方針を決めたほうがいいです〟と言われる。
そして、私達家族は病室に兄を残し大学病院の医師に会いにいくことになる。遠くに住む長男も帰ったばかりだったのに、急遽こちらに戻って医師との面談に参加することになった。
3月28日。この日はとても1日が長く感じた忘れられない日だ。
大学病院の担当医師とアポイントをとり、姉、父、私は約束時間の午前11時に間に合うように車で出発した。朝にはみんなで兄の病室に寄った。兄は冗談を言って私を笑わせた。今思えば、みんなが大学病院へ向かうことが兄は不安で寂しかったのだろう。
大学病院の受付窓口の前で長男とおちあい、腫瘍内科外来へと向かった。しばらく待ったあと、私達は診察室の中へ通された。
医師の話はまたしても思った以上に厳しいものだった。言葉を慎重に選びながら、私達に分かりやすく伝えようとする医師の表情は今でも覚えている。話の内容は次にようなものだった。
〝全身に飛び散るがん細胞です。播種、、というんですが。本人の望みを奪いたくはないので、経口で抗がん剤治療を続けようと思います〟
姉が余命を聞いた。医師は少し間をおき〝数ヶ月、、、でも急変することも考えられます〟と言った。
悲しい涙なのか、悔しい涙なのか。涙が次々とあふれて止まらなかった。長男が〝私達は最後まであきらめずに代替療法などやりたいと思っています。相談することもあると思うのでよろしくお願いします〟と必死で医師に伝えていた。
この日は朝から道路がひどく混んでいたせいもあって兄の待つ病室に戻れたのは、予定よりもだいぶ遅れて夕方になってしまった。急いで兄の病室に向かいドアを開けると看護士が立っていた。〝え?何?〟と入り口で立ち止まってしまう。看護士から〝呼吸が苦しいそうなんです〟と知らされる。姉がすぐに兄の側に行き〝パパ、どうしたの?〟と問いかける。兄はベッドに横たわり、ひどく呼吸が苦しそうだった。〝頼む、早く、先生呼んできて〟と訴えるも、ちょうどその時間担当の医師は手術中だった。